(7) 2004年 7月(7) まえへ(6) つぎへ(8) 2004 7/1(木) 今日は次女の中学の体育祭だ。 雨は降りそうにないので、一回で終わるだろう。 プログラム1番の800mは是非応援して欲しい・・と言うのでshinと出かけた。shinはストップウォッチでタイムも計っていた。 3分台で走るのが目標だったが、3分前半でゴールでき良かったと思う。中学に入って陸上を始めたが、自分で目標を決め 練習している姿は、親としても嬉しい。 60m走を見たところで、私は帰宅した。shinはスポーツが大好きなので、残って見ると言う。 夕方帰宅した娘は、ますます日に焼けていたが、1年でクラス優勝したようで、疲れているにもかかわらず、ニコニコしていた。小さな幸せ。 2004 7/2(金) 今日も暑い。 長女の期末試験の最終日で、明日は5日からの修学旅行の荷物を先に送らなければならないので、午後からは荷物のパッキング。例によって「あれはどうしよう、これも持って行きたい」となかなか選択が出来ないようだ。 4泊5日にしてはバッグが小さかったかな・・・とも思ったが なんとか詰め込めて一安心。 身障者スポーツのお試し企画の案内とパソコンスクールの案内が届いていたが、さっと見ただけでTVに夢中。 いろいろと内容について質問するとイヤな顔をしたが、分からない事をメモして電話で問い合わせをしていた。 この辺の呼吸が難しいといつも思う。なるべく私は口出しをしたくないのだが、病前からノンビリした性格で(これはそのまま長女が引き継いでいる)これは変わらない部分なのだろうか。 2004 7/3(土) 相変わらず暑いが、湿度は低いので凌ぎやすい。 今日はそれぞれ皆外出の予定があり、私も義母の整形外科へ 一緒に行くことにする。 4月から行き始めた整形外科なのだが、ちょっと遠いこともあり場所を一度確認しておきたいと思っていたので。 いつ行っても患者が多く待ち時間が長い・・と義母が言うので そのつもりで行ったが、土曜の昼前という事もあってか、 すぐ名前も呼ばれ、小1時間ですべて終了。 義父は友人と会食、shinはフィットネス、長女は学校、次女は部活。 一年前は皆、体が縮こまり、電話の音ひとつにも神経質になって過していたのがウソのようだ。 今あることの感謝は忘れてはいけないと思う。 2004 7/4(日) 今日も暑い1日。 長女は明日からの修学旅行でやる予定のクラスレクの練習に出かけた。 次女は昨日に続き陸上の県大会の応援。 (応援だけかと思っていたら合間に練習もするらしい) shinには毎月決まっている払い込みや提出書類のチェック表を作ってもらった。 健保や国民年金の払い込み、傷病手当金の請求書を主治医に書き込んでもらったり、郵送したり…事務的な事はずっと私がやってきたのだが、そろそろshinにシフトしようと思い 毎回少しでもスムーズに仕事ができるよう、チェックリストを作る事にしたのだ。 いきなりややこしい事(shinのレベルでは)を言うと露骨にイヤな顔をするので、数日前から話を進めてその気にさせる。 私がやったが早いのだが、それでは今後に繋がらないので ここはグッと我慢だ。 これって…そうだ子供たちが小さい頃も「待ちモード」があったな。新聞や育児書などにも「お母さんはなるべく手を出さず 優しく見守りましょう」と書いてあった。 私はもともとセッカチなので、この「待ち」が苦手で反省する事も多々あったのだが。 将来的に私が楽!?をする為にも、待たなくては。 2004 7/5(月) 長女は今日から沖縄修学旅行。 集合時間の関係で4:30には起きる と言っていたのに、昨日の疲れもあってか私が5時に起きるまで爆睡していた。 「あ~髪が上手くまとまらないーっ!」と飛び出す背中にshinが 「楽しんでこいよ」と声をかけていた。 shinは午後からOT&PT。O先生のPTはかなり混んでいたらしく 帰宅は6時前だった。 先生の予定を聞いて次回から土曜日に変更してもらったらしい。上出来。 2004 7/6(火) 長女がいないので、朝もちょっとだけゆっくり起きる。 弁当も次女の分1個だけで、朝の時間も余裕がある。 shinは午前中はレギュラーのDuty。 朝食前にPTの自主トレを済ませる(退院時にO先生が作ってくれたが、その後も課題が増え、1コース終わるのに30分位かかっているようだ)。 今の時期は汗ビッショリになるので、ここでシャワー。 朝食後はその日の予定を確認し、優先順位をつけ、新聞チェック。 それから音読と計算問題をした後、4月から始めた掲示板への 書き込み用下書き。 音読と計算は去年話題になった「大人のための~」シリーズで 1サイクルやってしまったので暫く止めてみたところ、何かと注意力も落ちるようで、再開した。 音読や計算は前頭葉の血流を促すらしく、すでに病院や施設でもリハビリの一環として取り入れている所もあるらしい。 3サイクル目に入った時には、さすがに計算は飽きたらしく 100舛計算で話題になった著者の別シリーズをshinが買ってきたので、現在はそれを使っている。 午後からは払い込みを3件してもらった。 日曜日に作ったチェックリストを基に、健保と国民年金の払い込みを銀行で、お中元の払い込みを郵便局でと頼む。 気温も高くちょっと心配もしたが、2時間程度で帰宅した。 外出はいろんな意味でのリハビリなので、体調さえ良ければ 毎日でもしてもらいたい。 2004 7/7(水) 水曜日は地区センターのリハビリ教室。 退院後の11月から行き始めている。 この会ではKさんをはじめいろいろな方に出会っている。 地区センターで陶芸や料理をしたり、外に出てエレベーターやバスの乗降訓練、地下鉄に乗って外出…等自宅ではなかなか出来ない事を体験しているようだ。 今月の進行担当の保健師はOさんだ。 彼女はshinの介護保険申請の時も面接に来てくれた人なのだが、shinは今年3月にOさんに言われるまでまったく気がつかなかったらしい。 午前中入院仲間のTさん宅に電話する。 Tさんは昨日H病院で手術を受けている。 奥さんの話では予定より時間はオーバーしたが、無事終わったとの事。良かった。 直前に子供さんの結婚式があったりと慌ただしい数日間だったようだが、奥さんの話し振りも落ち着いていて安心した。 来週のお見舞いを約束する。 shinが最後にいた部屋は6人部屋だが、ナゼか気が合う人ばかりで、退院後もお付き合いが続いている。 6人の内2人は転院してさらにリハビリ中。 1人は職場復帰のため車イスで運転免許取得を目指して教習所通い。 shinとTさんYさんは歩行は自立しているが、それぞれ高次脳や失語症のリハビリを続けている。 時々会って食事をしたり掲示板に書き込みをしたり、皆各々の頑張りを見守りつつ、自分も頑張ると言う理想的な関係を保っているのは、ちょっと羨ましいくらいだ。 2004 7/8(木) 猛暑が続き、ちょっとグッタリ。 6月の教育TVで「高次脳機能障害」の特集が数回あり、shinと二人で見て、大変参考になった。 テキストも出ているので購入してshinにも読んでみるように勧めたら 「オレは本当に高次脳機能障害なのか」と言う。 ちょっとびっくり。病院でも先生方との会話の中でそのような話は度々出たし、機会を見ては私も「高次脳」について説明したのに・・・。 病前と明らかに違う記憶力や段取りをする能力についての自覚は本人にはないのだろうか。 それとも認めたくないのだろうか。 高次脳機能障害とは交通事故や脳血管障害などの後遺症からおこる症状で、記憶障害・注意障害・遂行機能障害・行動と情緒の障害が挙げられる。 shinの場合、記憶障害と遂行機能障害(一言で言えば段取り)が問題だ。 新しい事の記憶がなかなか定着しなかったり、何かをする時に段取りを立てて実行できなかったり…。 しかしリハビリの研究も進んでいる現在、夫々の症状に応じた訓練があり、積み重ねて行く事で症状の緩和や能力の向上も期待できるのだ。 入院中からOT・PT・STの先生方とも相談しながら家族としても対応してきた。退院後二人で相談して工夫したこともある。そのリハビリの内容はTVで紹介された対策と重なる部分も多く、少なからず道は誤ってないと思ったりしていたのに。 たしかにshinの「高次脳」のレベルはそんなにひどい状態ではない。 またメモを書いたり、本人の意識を促す事でかなりレベルアップしたようにも思えるが、やはり今後のリハビリの効果を上げるためにも、本人の意識は重要だと私は思うのだが。 番組で知ったのだが、事故や病気の後に主治医から「高次脳」の診断も指摘もなく(医療関係者でも知らない場合もあるとか)、家族や本人は混乱する場合も多いらしい。 その点shinは早い段階で知ることができたので、対策も早く取る事ができラッキーだったと思うべきだろう。 去年の日記を見ると「高次脳」についての記載があった。 「あの素晴らしい愛をもう一度」の時も、スーパーでこの曲を聞いた日が、ICUのベットの上で歌った一年後だった。 これは偶然だろうか。 2004 7/9(金) さすがに猛暑の中、4日連続で外出し疲れたのか、今朝の起床はいつもの1時間遅れで6時半だった。 特別具合が悪そうでもないので安心する。 朝からパソコンスクールの関連で問い合わせをするように言っていたのだが、準備を始めたのは夕方だった。 先を見通せなかったり優先順位をつけられなかったりするのが、「高次脳」だよ・・・と言いたかったがグッと我慢した。 私の胃の不調はこんな時にひどくなる。 ストレスをなるべく溜めないようにしなければ。 夕方長女が沖縄修学旅行から無事帰宅。 平和学習では「ガマ」(防空壕のようなものらしい)を実際に見学したり「ひめゆり部隊」の方のお話も聞けたと言う。 台風が来なかったので与論島にも渡れ、練習の甲斐あってか クラスレクも上手くいったらしい。 超ゴキゲンで帰ってきた。ヨカッタ。 お土産に黒砂糖を頼んでいたら、食べやすいカットタイプを 買ってきてくれた。 去年の今頃、実家の母が「疲労回復にもいいのよ」と黒砂糖を送ってくれた事を思い出した。 2004 7/10(土) 午前中は次女の部活合宿の説明会。 合計6校の陸上部が合同で合宿するらしく、3泊4日の日程はすべて練習だった。 でも学校の枠を外れて競技別に練習するらしく、良い刺激を沢山受けるのがメリットらしい。 shinは午後からフィットネスへ行ったが、帰りのタイミングに丁度雨が降った。 携帯に連絡してみようかとも思ったが、どんな行動をするかにも興味があったので、敢えて連絡はしなかった。 結局バスに乗る頃は小降りになったし、帽子も被っていたし で連絡はせず、帰ってきた。 病前もこの程度だったら濡れて帰る人だったので、まあいいか。 それにしてもこの夕立は、長女が修学旅行の洗濯物を自分で洗って干したからかも。ハハハ。 2004 7/11(日) shinは午前中に参院選の投票と買い物を済ませて帰宅。 皆で昼食を摂っているうちに、雷雨になった。 雨はさほどでもないが、雷がすごい。音と光の連続。 結局1時間ほど降ったのだが、1時に美容院を予約していた 長女はキャンセルし、2時に友人と約束していた次女は外出できた。 私は午後から買い物と投票を一緒にしようと思っていたので 出鼻をくじかれ、どちらもパス。 午前中shinの最近の様子の報告がない…と義父が私に言う。 「何ソレ」と思った。 一緒に住んでいるのだから見れば分かる事も多いはずだし、 分からなければ直接本人に聞けばよいではないか。 私の口を通すより本人から話を聞くほうが、いろいろと判断も出来そうなものだ。 私もよく3人を残して外出してのは、そんな意図もあったのに 全然通じていなかった。 それに入院中約80日間両親がshinに会わなかった事は、shinの病気を受容できなかった結果とは言え、shinにはトラウマになっている。 その溝を埋めるためにも親子で話をして欲しい…そう思い shinに午後から両親と今の状況などを含めて説明したら・・・と 勧めてみた。 どのような会話がされたのか私には分からないが、この親子と私とは温度差がある。 義弟たちの様子をこの十数年見ていても、同じような対応なのできっとこれが風土(と言うか土壌というか)なのだろう。 いずれにしてもshinの病気の問題だけではなく、親子の問題だと思うので私は関わらない事に決めた。 ただ残酷かもしれないが、もし機会があったらshinのトラウマについては,まったく気がついていないようなので触れておこうと思うけれど。 2004 7/12(月) shinはST.OT。ST(言語リハ)は午前、OT(作業リハ)は午後なので昼食は病院の食堂で。 職員専用食堂かと思っていたのだが、患者もOKで安くもあり リハの時や入院仲間の人たちとのランチにもよく利用しているようだ。 前回のSTは宿題を(文章読解の問題や作文等だが、内容は症状に応じて全然違うらしい)クリアファイル毎忘れたらしく、前日から何度も確認していた。 忘れ物の後のフォローが自分で出来るようになれば、それで良いと思う。 中には、忘れ物に限らず交通手段を間違えたり・・と選択を誤った時にパニックになってしまう人もいるらしい。 リハ病院の先生方も失敗した内容より、その後どうリカバリーしたかを重要視しているようだ。 shinは一応その時点で考えて行動しているようなので、何事も経験と割り切る。 忘れ物と言えば今日は保険証を忘れた。家を出てから気がついたらしく5分位で取りに帰ってきた。 私もうっかりしていたが「よく思い出せたね」と再度送り出した。 2004 7/13(火) 入院仲間のTさんのお見舞いにH病院へ行く。 一年前shinの部屋は5FのAフロアーだったが、Tさんは5FのBフロアーだった。 Tさんは術後1週間とは思えないほど元気そうで、顔色も良かった。 摘出物は1.5cm位だったそうだが「本物!」だった事が今日分かったらしい。 このサイズで見つかる事は稀らしく、「手術ができて本当に良かった」と笑っていたが、こうやって自分が受けた医療行為を肯定出来る人は、直りも早いだろう。 フィットネス仲間でもあるので「涼しくなったら又、いい汗流しましょう」とshinは言っていた。 昼食をデイルームで一緒に摂り記念に!5Fを一周すると、5Aのナースセンターに思いがけずshinの担当看護師のKさんがいた。 声をかけるとしばらくして思い出したらしく、shinを見て 「ああ○さん、歩いてますね。良かった、元気になって!」と言ってくれた。 H病院には退院後は脳外の外来には来ていたし、リハ室には挨拶に行きもしたが、なぜか病棟には上がらなかった。 Kさんも1年ぶりのshinの様子に驚いたのだろう。 あの驚き方からすると、shinの当時の症状は相当厳しかったに違いない。 専門家は経験を積むほど、患者の未来もある程度予測ができ、かえって辛かったりするのだろうか。 しかしH病院のSW(ソーシャルワーカー)が話してくれたように いい裏切りも沢山あるのだ。 諦めてはいけない。 2004 7/14(水) shinと長女(夏休み前の休みなので)はKさんが立ち上げた障害者の交流会の日帰り旅行に参加。(目的地は千葉の某フラワーパーク) 朝、バスが遅れたり夕方の渋滞にはまったりといろいろあったようだが、具合が悪くなる人も出ず楽しい一日を過したようだ。 昨夜進路について長女と話をしたので、いろいろと考える時間があったかもしれないと思っていたが、shinの話によるとバスの中では爆睡していたらしい。はぁ~。 この一年、子供たちはshinのありのままを受け入れているように思う。特に長女は今日も一緒に行動してくれたが、たまたま帰りの電車でリハ帰りのshinと一緒になったりすると、 shinのペースで帰ってきてくれる。 「高次脳機能障害」では感情のコントロールが難しくなりコミュニケーションが取りづらい人もいるようだが、shinには今の所それは見られない。 家にいる時間が長いため、子供たちとも病前より話もしているようだし私も細かい事を話せるようになった。 ただし忘れている事もありはするのだが…。 しかし家族の情報を夫々が知っているのは、やはり大事な事だと思うし、それによって「父」「夫」としての自覚をまた待って欲しいと思う。 2004 7/15(木) 2時から中学の三者面談。次女は1時過ぎに帰宅し、20分で昼食を済ませて又私と共に学校へ。暑い中ちょっとハードだったかも。弁当を持たせてやれば良かった。 夕方すごい雷雨。この前の日曜ほどではなかったが、次女の部活も今日は休みだったので、良かった。 2004 7/16(金) 入院仲間のYさんご夫婦と病院で昼食。 Yさんは午前中OTとPTを済ませ、相当汗をかいておられた。 4月下旬から運転免許取得のため教習所に通い、残すは高速教習ぐらい・・という頑張りを見せておられる。shinより少し年上だがその博識な事尋常ではなく!、4月から始めた掲示板にはいつも硬軟取り混ぜた話題を提供して下さっているのには、ただただ感謝である。 Yさんは免許取得後は復帰する職場もあり、早ければ秋ぐらいには社会復帰もできるかもしれない。 奥様も働いておられるが、お仕事の合間にYさんの教習所への送迎もなさっているようで、前回お会いした時より少し痩せられたように見えた。 血圧も高めで「主人と同じ薬を飲んでいるのですよ」と笑って言われたが、やはりどなたも無理はしてしまうものなのか。 掲示板で毎日やり取りをしているとは言え、久々にお会いしたので昼食を摂りながらの会話も弾む。 お互い苦しい時を一緒に過した仲間なので、夫々の進歩は嬉しいしお互い励みにもなる。 このようなお付き合いが出来る事が本当に嬉しく、大事にしたいと思う。 今日のK先生の診察では「高次脳」の薬について質問した。 先月はTVで「高次脳」の特集が数回あり、テキストもあったので購入してshinと読んだ。 夫々の症状ごとにリハビリの解説とお薬についての説明があった。shinは退院後、降圧剤と胃薬は服用していたが「高次脳」についてはお薬を飲んでいないはずだ。 まず、shinがその事の確認をした上でテキストに書いてあるお薬について自分に当てはまるものかどうか・・について尋ねた。 一つ一つのお薬について先生は丁寧に答えて下さったが、結果として今のshinには必要な薬ではなかった。 記憶障害や遂行機能障害に用いるお薬はどちらかと言えば 覚醒系が多いらしく、その使用についてはやはり慎重になるのも当然だろう。 「今の○さんにはこれらのお薬の服用は適当ではありません。 それよりもご自宅で反復訓練や機能訓練などを続けられた方が良いと思います」との答えだった。 K先生と話をしていて、いつも感心する事は、どんな時も冷静に暖かくキチンと対応をなさることだ。 今回もイヤな顔もせず、ちゃんと答えてもらい、私たちもスンナリ納得できた。 こういう事を通して医師と患者の信頼関係は出来ていくのかと思う。 2004 7/17(土) shinは午前中PT。PTは1回/2週になっている。10:30スタートだと終わりは昼になるので「今日も食堂で食べてきてね」と送り出す。 長女と買い物に出る。義母の誕生日も近い。 先日一緒に外出した際、私のパスケースに興味を待ったので今年はスイカとパスネットのセットにする予定。 問題はJRと私鉄の乗り換え時に混乱しないか・・だが、まあ本人の意欲の問題だろう。 新しい事に興味を示し、かつチャレンジする精神状態であれば、まだまだ大丈夫だ。 次女は陸上の大会応援。5時に起き6時に家を出る。「雷三日」と傘を持たせたが、今日は夕立は無かった。 バスの便が悪い会場だったらしく、かなり疲れて帰宅は7時過ぎ。 2004 7/18(日) 午前中次女と買い物。子供たちのスケジュールが合わず、私が毎日出ている。 先輩に教えてもらったというスポーツ専門店はスタッフの対応も気持ち良く、シューズの説明やフィッティングも丁寧だった。 ランニング用のシューズとランパンを購入。 「最近スランプなの」と練習メニューになかなかついて行けなくて落ち込んでいる次女。4月から始めたばかりでスランプは ないだろう・・と可笑しくもあったが、本人は超真面目に言うので「まだ発展途上だからね」と慰めた。 専用のシューズを履けば、ちょっとは足も軽くなるかも。 shinは午前中から掲示板の下書きをしていたのだが、やりかけのままwalkingに出るという。 時間も午後2時と一番暑い時なので、「一つを仕上げてから次に移ったら?」と言うと一瞬イヤな顔をしたが、掲示板の書き込みを始めた。 優先順位をつける・・これをいつも考えて欲しい。 どんな職業に決まったとしても考えて行動できる水準でなければ勤まらないだろう…きっと。 2004 7/19(月) 次女が部活のため早めに昼食を用意していたら、Y子ちゃんとご主人のTさんが訪ねて来てくれた。 Y子ちゃんには4月に会ったきり、ご主人には…もしかしたら彼女たちの結婚式以来かもしれない。 貴重な休みの日に「この黒酢効くよ」とわざわざ来てくれた二人の気持ちが嬉しかった。 2004 7/20(火) ケアマネージャーのKさんが10時に訪問。 両親とshinのケアマネージャを担当してもらっている。 おっとりとした感じの女性なのだが観察力は確かで、3人の様子を的確に把握してくれている。 また家族の思いや大変さにも耳を傾けてくれるし、よく理解してもらっていると思う。 仕事も速く手配や手続きなども、あっと言う間にこなしていまう人なのだが、あたりは穏やかで感心する。 両親の信頼も大きいので、これから何かあってもKさんからアドバイスをしてもらえる・・そう思うだけで私も安心できる。 2004 7/21(水) ずっとサボっていた胃腸科へ行く。 気になっていたピロリ菌の除菌結果は1%と言う事で合格だった。1年後にまた検査するように言われたが忘れるだろう、たぶん。 前回貰った2週分の朝1回の薬はずっと飲み忘れていたせいか 効果を感じなかったが、もう2週分出たので今回は真面目に飲もうと思う。 shinにはお薬の管理をうるさく言うのに、私は結構忘れているのがおかしい。 長女は今日から夏期講習で学校。午後は部活なので夏休でも弁当を作る毎日だ。 午後からshinは地区のリハビリ教室。 あまりにも暑いのでちょっと心配だったが、本人はいたって平気な様子。 「普通に暑かった」と帰宅したので、やはり出来る事はどんどんさせるべし・・と改めて思う。 今日は「高次脳機能障害」の人が自転車!で来る途中、電信柱にぶつかったらしい。 この暑さの中、かなりの距離を自転車に乗るのもスゴイと思ったが、たぶん「半側空間無視(視力はあるにも関わらず、片側だけ見えている物を認識できない障害)」の症状があるのに 自転車に乗るのはやはり危険ではないか・・とshinも言っていた。 出来る事と出来ない事、安全の基準・・は障害を持つ人とその家族にとってリハビリをするのにも大切な要素だと思う。 専門家にも相談しながら社会復帰を目指す姿勢は大事だろう。 2004 7/22(木) 義母の誕生会を急遽する事になった。 私は週末を予定していたのだが、「私いないよ」と次女が言う。 そうだ、土曜日から合宿だった。 カレンダーにも書き込んでいるのに、皆の予定が覚えられず把握できない。 年令のせいか、もしかしたら私も梗塞の1個や2個あるのかもしれない。 最近嗜好も変わり歯の調子も良くないので、食べられる物も限られている上に私の能力も伴わず、行事食のメニューには毎回悩む。 今日は次女の部活が休みなので、合宿の荷物のパッキング。 3泊4日中ずっと練習なので、Tシャツとタオルの量がすごい。 洗濯もするらしいのだが、初めてで様子が分からない。 4泊5日の長女の就学旅行の荷物より重かった。 2004 7/23(金) 今日は訪問PTのT先生が来る日。 ケアマネージャーのKさんが紹介してくれた人だが、つきに2回の両親のPTと不定期でshinをみてもらっている。 T先生も優れた観察力を持っている人で、両親とshinの変化には敏感に対応してくれるのが有り難い。 寝たきりの状態で訪問PTを利用するケースがほとんどらしいが、KさんもT先生の事務所もそうなる前のケアの重要性を認識しているようで、恵まれた利用の仕方だと感謝している。 T先生にはshinの通院ルートのチェックや、夜道の歩行、フィットネス等不定期ではあるが、要所要所で見てもらっている。評価もキチンとしているし、アドバイスや指摘も的確だ。 Kさん同様T先生への両親の信頼度も大きいので、これから何かあったとしても安心だと思っている。 shinは15年度の地区リハ教室のOB会で午後から出かけた。 11月から参加したので、shinは今年度も参加しているのだが 殆どの方とは久しぶりの再会だったようだ。 終了後、同年代の方と近くのファミレスでお茶まで飲んだらしく、結構楽しめたようだ。 病前は会社の付き合いがほとんどの生活だったが、最近は地域の知り合いが沢山でき、これから老後に向けて?いい事だと思っている。 長女は夏期講習、次女は午後から部活。 この暑さの中、外での練習は相当シンドイと思うが、「キツイ、疲れた、眠い・・」と言いながらも続いている。 私は若い頃からスポーツと名のつく事は殆どしていないが、 若い頃に体と心を鍛えるのは大事な事だと思う。 2004 7/24(土) 次女は今日から陸上の合宿で、家を6時に出る。 長女はこんな時「駅まで送って」と頼む子だが、次女は嫌がるのが可笑しい。 大きな荷物を持ってフラフラしながら出かけた。 今日は9時にH病院のMRIの予約が入っているので、8時過ぎに家を出る。 道も空いていて8時半には病院に着いた。 時間より早くスタートでき、30分くらいでshinは検査室から出てきた。 造影剤も使わなかったので状態も普通で、一安心。 しかしMRIの閉所感と騒音はすごいらしい。 あんまり早く終わったので何だか拍子抜けしたが、折角だから(何が?)ちょっと早いお墓参りに行く事にした。 いつもはものすごく混む道も今日はスイスイで調子が良い。 病院の駐車場を出て1時間で鎌倉に到着。 セミがうるさい位にないている中、お花とお線香を供えて終了! 「もし私が先に死んだら、お骨は全部海に散骨してね」とshinに頼んだ。 shinはいい気持ちはしなかったろうと思うが、私は死んでまで生きている人を煩わせたくない。 死んだらそこで終わり・・・それでいいではないか。 竹の子の季節に「お母さんって竹の子好きだったね」と少しだけ思い出してくれればそれでよい。 2004 7/25(日) 連日暑い。午前中shinは散髪に行き、かなりのカリアゲになって帰って来た。日曜の1000円床屋は結構混んでたらしい。 H病院に入院していたTさんから電話があり、23日に退院したとの事。 少々疲れ気味の声の様子だったが、手術も済み無事退院できたのは何よりだった。 「涼しくなってから又お会いしましょう」と約束をする。 次女の合宿2日目の今日は恒例の「10k走」があるらしいのだが、長野では雷雨や雹が降ったとニュースで報じていた。 完走できただろうか…ちょっと心配。 Telカードを持たせたが電話はかかってこない。 夕方、長女は義母に着付けをしてもらい浴衣を着て友人と地元の盆踊りへ。 何故か娘たちは浴衣が好きで、毎年着ている。 9時ごろ「下駄が壊れたので迎えに来て」とTelがある。 右足の後ろの歯がパックリと折れていたのが可笑しかった。 「着付けはバッチリだったのになぁ・・」 子供たちがいなかったので、今日の夕食は大人4人。 これは結構ツマラナイ。 2004 7/26(月) 今日からshinはエクセルの講習会に参加する。 身障者やその家族を対象とした講座なのだが、5月にもワードの講座を受講している。 月~金の夕方6:30スタートで、PCだけでなく、夜の歩行・交通機関の利用・・等を体験するいい機会と捉える事にした。 早めの夕食を摂り、5時ごろ出かけた。 終了は9時前、帰宅は10時頃だったがバスにも乗れたようで病後初の夜の単独行動だが、思ったより元気な様子で安心。 講師も前回のワードの講習でお世話になった先生方らしく、緊張も少なくて済んだようだ。 「お父さん、予習復習もやってみてね」と事前に子供たちからも応援を受けていたので、shinとしても気合が入っているようだ。 2004 7/27(火) shinのPC講習2日目。 今朝は前日の復習をしていた。 前回のワード講習の時よりモチベーションも高そう。 次女が3泊4日の合宿から帰宅。 夕方6時過ぎと聞いていたが、5時半には帰ってきた。 すでに真っ黒に日焼けしていたのだが、更に黒さが深くなっている。 疲れたり行事の終わった後などは無口になるのが常の次女だが、今日は様子が違う。 合宿の様子を喋りだし、止まらない。 よほど印象が深かったのだろう。 気にしていた10k走も長距離チーム中32/69でゴールしたと言っていた。 何かしら乗り越えられたものもあったようで疲れてはいるものの、いい顔をしている。 参加させて良かったと思う。 それにしても連日の猛暑で自分の汗も気になる事も多々あるが、次女の洗濯物はすごかった。 洗剤も持っては行ったのだが時間が取れなかったらしく、4日分のシャツのニオイは・・・・。めまいがしそうだった。 shinはやはり5時に家を出て10時過ぎに帰宅。 今日は少々疲れ気味のようだ。 2004 7/28(水) 朝起きると、アレ、喉が痛い。 久々の感覚だけど、これはカゼのひきはじめ。まちがいない。 あ~やだな。喉が痛むと体の節々も筋肉痛みたいに痛くなるし・・。 明日からいろいろ予定があるので無理して耳鼻科に行った。 やはり喉が赤く腫れ、ついでに鼻も調子が悪い。 よし、今日は主婦業は臨時休業にしよう。 食事は手抜き。片づけは子供たちに任せよう。 薬を飲んで午後から爆睡する。 夕方にはかなり楽になっていたが、shinの早めの夕食は作りたくなかったので、外で食べてもらうことにする。 2004 7/29(木) 体調は昨日より回復したが、まだキツイ。 でも一日でここまで元気になれるとは思わなかったので、安心した。 先日Y子ちゃんから貰った黒酢をずっと飲んでるからかも・・。 Zさんがクエン酸を取るといいよ・・・とこの前メールで教えてくれたが、この暑い時期お酢の力はスゴイぞ。 台風10号が近づいて来ているが、東から西に向かって進んでいる。関東地方は直撃は無いようだが、今日は天気も不安定なようなので外出はヤメにした。 月曜日と木曜日は両親の介護保険利用でヘルパーさんが来る日なのだが、今日はお休みになる。 shinが出かける時間には雨も降らず、徒歩で出かける事ができた。今日は夕食も用意する。 帰りは次女の塾の終わる時間と重なるので、迎えに行ったついでにshinもひろって帰る。 2004 7/30(金) 長女と都内のオープンキャンパスへ出かける。 昨年は急に言い出したため、行ける所へ行くと言う形になったが、今年は早めに本人が計画した。 オープンキャンパスの時期は集中していて調整が必要だったらしいが、どうやら3校にに絞ったようだ。 出発時間、電車の路線、当日のスケジュール調整など普通の高校生には何でもない事も、彼女の苦手な事ばかりだったので計画の段階から結構きつかったらしい。 shinのPCも今日が最終日だが早めの夕食までに帰宅できるか分からなかったので、一応用意は済ませておいた。 本人にも手順を説明し出かける。 思ったより早く帰れたが、shinはすでに出かけていた。 後から聞くとTさんから連絡があり、PCの会場で会う約束をした・・と言う。「メモか携帯への連絡があれば良かったね」と言っておいた。 最終日もほぼ同じ時間に帰ってきた。 メンバーの人たちと写したデジカメの写真や自分の血圧データをグラフ化したもの等を持って帰ってきた。 PCについては更にスキルアップの必要性を感じているようなので、9月から通えるように準備をしたい。 また夜間の外出も、夜道の歩行や電車の乗り降りなど特に困った事もなかったようで、これが一つの自信につながればいいが・・と思う。 帰りに長女と宝くじを買う。 「当たったら山分けしよう」と言うと 「お母さんってオメデタイ性格ね」と言われてしまった。 トホホ。 2004 7/31(土) オープンキャンパス2日目は山編。 shinは午前中PTで、タイミングが合ったので3人一緒に出かける。 こんな時長女は「あら~お父さんと出かけるの久しぶりねぇ」等と言ってshinを喜ばせるのだ。 次女はカゼ気味で部活を休む。 まだ合宿の疲れも取れていないようだ。 他の人はもう回復したのだろうか。 山編の学校はJRの駅からシャトルバスで20分位の所にあった。路線バスも走っていたが、とても駅から徒歩で通えるような場所ではない。 しかしよく言えば自然に囲まれた環境の中でスペースはゆったりとしており、建物も落ち着いて見えた。 学部の説明、入試相談、合格体験談、スタディサポート、奨学金相談など内容も充実していた。 学びの環境としては悪くないと思うが、はてさて本人の学力の問題もあり、どうなる事やら。 どこの大学もオープンキャンパスは学生達と教職員が一体となって行う一大イベントのようで、学生達も活き活きと仕事をこなしていたのが印象的だった。 昨夜、次女が義父のビデオデッキを壊してしまった。 録画に使おうとしていたテープが劣化していたようで、中で絡まってしまった。修理は来週。 私達のデッキも16年くらい前の物で、 (よくもっていると思うのだが)シドニーオリンピックの頃から買い替えを考えていたのだが、DVDも出てきたりしていまだに迷っている。 まえへ(6) つぎへ(8) |